つい些細なことに反応してしまうあなたに
どうもこんちには、じょんです。
『職場での人間関係がうまくいかない』
『ついつい他人と比べて心が疲れてしまう』
こういった悩みは誰しも一度は感じたことがあるのではないでしょうか。
昨今はコロナ禍の影響から人との接し方も過去とは大きく変わりつつある中で、
画面を通じた遠隔でのコミュニケーションに苦労している。
ネットニュース等でよく目にする会社別・年代別の給与ランキングを見て、
自分がどのくらいの位置にいるのかによって満足したり落ち込んだり。
私を含め、そういった方へと当てられた書籍
草薙龍瞬先生著
読んでみました。
書かれている内容についてはあまりとっつきにくいということもなく、
所謂メンタルトレーニングの初歩的なものも含まれており、
生活に取り入れていくことが出来る範囲のものが載っているという印象。
ここでは私が実際の生活において感じている悩み、
そしてそれらに対してブッダ考え方3点について説明していきます。
- 反応しないことが「最高の勝利」
- 「過去は忘れる」 – 記憶を相手にしない
- 「比較する」のは非・合理的な考え方
筆者がピックアップした3点
反応しないことが「最高の勝利」
普段から私たちが抱えている悩みやストレス、
なんとなくこれが悩みなんだ、ストレスなんだと考えていますが、
ブッダに言わせればそれは、以下のように定義されるようです。
嫌なことや苦しいこと、その事実に対する心の反応
例えば日々満員電車で通勤することに対してストレスを感じている場合、
満員電車で通勤しているという事実に対して「嫌だな」と心がつい反応してしまうことでストレスを感じてしまう
と言い換えることができ、つまりは心がムダに反応しなければそもそもストレスを感じることはない。
どうやらそういうことのようなんです(誤解していたら龍瞬先生すみません)。
例えばリモートワーク時、午前中に設定された電話会議に出席せず後になって「寝坊しました」と素直に言ってくる部下。
「社会人としてどうなんだろうか?」とつい私の心はすぐに反応してしまうのですが、
ブッダに言わせればこうなります。
「反応して心を乱されることは無意味である」
結局のところどちらが正しいかというのはわからないということ。
部下からすれば前日遅くまで働いたため、朝多少遅れても問題ないという考えがあるかもしれません。
もしくはあまり人に言いづらいような体調不良があるのかもしれません。
私からしてもそういった予兆に気づくための十分な対応が図れていなかったのかも。
いずれにせよ電話会議に欠席したという事実だけを認識し、
ムダに反応しないことで私は悩みやストレスを抱えることはなくなるわけです。
これ、言いたいことは良くわかるんですけど、実践しようとすると相当難しいと感じませんか?
少なくとも私は「よし、明日からは反応しないようにするぞ!」と意気込んでも、
すぐに出来る自信は全くありません。
ですからこの本にならって反応しない【練習】をしていく必要があるわけですね。
練習の仕方については是非本を読んでみてください。
「過去は忘れる」 – 記憶を相手にしない
続いては「過去は忘れる」というもの。
ここは私が読んでいて一番「なるほど」と思ったところでして、以下本文を一部引用します。
『例えば相手と言い争ったとします。最初の「怒り」の対象は「相手」かもしれません。でもその場を離れてもなお、相手のことがアタマから離れず、ムシャクシャ、モヤモヤ、イライラしているとしたら、その原因は「相手」ではありません。自分の中の「記憶」です。過去を思い出して「記憶」に反応して、新しい怒りを生んでいる ー それが、いつまでも怒りが消えない本当の理由です。その怒りに実は、「相手は関係がない」のです。』
いかがでしょうか?
これ、私は少し前のことを思い出してイライラすることがたまにあるのですが、
そのイライラは相手に対して反応しているものではなく、自分の中の記憶に反応しているというもの。
ここからは私の解釈になりますが、先の電話会議を欠席した部下の話を例に挙げると、
欠席したことは事実であるものの、その後その部下はその欠席を重く受け止めて、
二度と欠席をしない人間になっているかもしれません。
そうするとどうなるか。
1度の欠席を糧にチームに対する、会社に対する貢献度が過去より上がっているとしたら、
過去の欠席を思いだしてイライラしていることに何の意味があるのでしょうか。
過去の記憶にムダに反応して心をすり減らすのではなく、
あくまで「今」の相手と常に向き合うことで大切ではないかと私は受け取りました。
ちなみに本書では、
相手はいつでも「はじめて会った人」と思うと良い
ということが後に説明されています。
ちなみに余談ですが、この辺りを読んで私が真っ先に思い浮かべたのが、
ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫 第7話」に出てくるオダギリジョーさんでした。
観ていない方はすみませんが、気になった方は是非ご覧になってください。
もしブッダが今を生きていたらこんな感じなのだろうかと思いましたね。
「比較する」のは非・合理的な考え方
人はなぜ比較してしまうのか。
本書ではそれを「承認欲求を満たして安心したい」からと説明しています。
自分自身に満足していれば他人と比較することはない、
他人から認められたいからこそ他人と比較することで自分が優位にいると感じたい、
つまりはそういったことのようです。
ただ比較というのは際限なく続くもので、
例えば給与や年収を例に挙げれは上には上がいるのが常ですから、
比較を続ける限りはいつまでの不満が付きまとうわけです。
そういった点を背景に、本書で比較することを「非・合理的」としています。
私も他人と比較することは良くあります。というか恐らく毎日しているかもしれません。
- 同僚と比較して自分はどのように会社に評価されているのか?
- 学生時代の友人と比較して自分はどの程度稼げているのか?
- 周りのお父さんお母さんと比べて自分は親としてうまくやれているのか?
挙げていけばきりがないですが、結局は私たちが納得さえできるのであれば、
他人との比較などそれこそ「非・合理的」というのは全くその通りだと思います。
問題は私たちが納得出来るのかということ。
例えば給与を例に挙げれば、恐らくは自身が提供した価値に見合う給料がもらえていると感じていれば、
それは納得ができているという表現できるでしょう。
ただし一般にその価値というのは、逆に与えられた給与から、私たちの作業はこのくらいの価値なんだと感じることが一般的なのではないでしょうか。
このあたりの解決策についてはまだ私の中では見当たっておらず今後の課題として残っています。
ちなみに本書では、比較することは「非・合理的」としながらも、承認欲を満たすこと自体は否定しておらず、
むしろ改善へのモチベーションとして前向きに使ってしまえばよい、と評されている点について補足させていただきます。
筆者が本書から得た気づき
私たちは日々様々なことに対して「反応している」というのがこの本で繰り返し書かれていることであり、
読んでいて私自身も書かれているような反応を日ごろから行っていること、
その反応から悩みやストレスを感じているということには非常に共感できました。
そして恐らくそのように共感できるのは私だけではなく、
本を読んでいただければあなたも多かれ少なかれ共感できる部分があるのではないでしょうか。
先にも触れましたが、反応しないように心掛けても、実際に反応しないで済むようになるには、
タイトルにもあるように「反応しない練習」が必要になるというのはその通りでしょう。
まずは何かイライラやモヤモヤを感じた際には、
「あ、今反応してしまっているな?」
ということに気づけるように練習をしていきます。
私と同じようにあなたが悩みやストレスを感じていると思うようであれば、
是非一度この本を手に取ってみてはいかがでしょうか。
普段なんとなく感じるモヤモヤやイライラというのがどこから来ているのか、
それを知るだけでも少しは心が軽くなるかもしれません。
それではまた。
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